二泊三日で富山県から岐阜を回る旅に出ました。
東京から北陸新幹線と在来線(第三セクター)乗り継いで高岡へ。
二日目の朝に高岡を出発し、五箇山の世界遺産になっている相倉集落と菅沼集落、白川郷の荻町集落と半日で縦断し、夕方に飛騨高山に到着しました。
白川郷で雨が降り出し、飛騨高山に着いた時には本降りになりましたね。
荻町城址展望台からの全景を撮ったのですが、雨のせいかレンズが曇ったのか、ぼやけた写真になってしまいました。
飛騨高山ではミラーレスカメラで夜の街並みを撮りましたが、雨の中の撮影で大変、それでも雨に濡れた夜の古い街並みは風情がありますね。
三日目は別の目的での撮影を経て帰京しましたが、それはまた別の記事で。
使用カメラ:LomoApparat
使用フィルム:Lomography Color Negative 35mm Film ISO 800(使用期限2024.01)
五箇山(相倉集落)
五箇山は富山県南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域の総称で、5つの谷から成り立つということで「五箇谷間(やま)」と呼ばれ、それから転じて「五箇山」という名前になったと言われる(諸説あり)。
五箇山と一言でいっても広いエリアで、そのうち「相倉」「菅沼」二か所の集落は、伝統的な茅葺屋根の合掌造り家屋が集まっていることから、1994年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、翌年には白川郷とともに「白川郷・五箇山の合掌造り」として世界遺産に登録されている。
相倉集落には現在、20棟の合掌造り集落を含め、24棟もの伝統的な茅葺屋根建造物が現存。
原始的合掌造りといわれる一軒。
現在の合掌造りの原型といわれ、現在この形で残っているのがここだけだという。
手前に見えるのが「放水銃」の保管箱。
木造家屋がほとんどなので、防火には気を使っているのがうかがえる。
定期的に放水銃による消火訓練が行われる。
五箇山(菅沼集落)
現在は9棟の合掌造り家屋と、相倉集落と比べて小規模ながら、コンパクトに密集している。
うち二軒が「五箇山民俗館」と「塩硝の館」という公開施設となっている。
有数の豪雪地帯である五箇山では、養蚕とともに火薬の原料となる塩硝の製造が盛んだった。
白川郷(荻町集落)
国の重要伝統的建造物群保存地区指定が1976年と早い。
同じ世界遺産でも、五箇山は観光客の姿がそれなりに見られる程度だったが、古くから「日本の原風景」として知られていることもあって、平日でも観光客が多く、特に近年は日本人より外国人の方が多いと感じるほどである。
そのほとんどが飛騨高山(最近は飛騨古川も)とセットでの訪問だろう、飛騨高山と結ぶバスは平日でも常に満杯になる。
集落内を散策してる辺りで雨が降り出し、展望台がある荻町城址についた頃には本降りの状態だった。
雨のせいでレンズが曇ったせいか、写りが霧に覆われた感じで曇っている。
普通なら失敗例だが、撮影時の気候状況を示すうえで、敢えて載せることにした。