フィルムカメラで夜の隅田川とスカイツリーを撮る

 

使用カメラ La Sardina Camera 8Ball Edition

 

隅田川橋梁とスカイツリー

 

 

 

吾妻橋スカイツリー

 

 

駒形橋とスカイツリー

 

厩橋スカイツリー

 

蔵前橋とスカイツリー

 

蔵前橋とスカイツリー

 

新潟県糸魚川市筒石を写す20240723


三セクを乗り継いでの青春18きっぷの旅の帰りの途中に、筒石という小さな漁村に立ち寄りました。

この筒石、只者ではなく、単なる寒村で片付けるには見所が多い。

そして、こうした小さな村はフィルムカメラが合う。

 

使用カメラ:LomoApparat

使用フィルム:Lomography Color Negative 35mm Film ISO 800(使用期限2024.01)

 

えちごトキメキ鉄道「日本海ひすいライン(旧・北陸本線)」筒石駅

筒石駅は数少ないトンネル駅 ホームから駅舎に向かうために長い階段を上る

 

駅から村落へ向かう途中に見かけた露頭 ちょうどフォッサマグマにあたるところか

駅から下ること10分で漁港が見える

サイクリングロードは旧北陸本線廃線跡 
現在の路線は複線電化と合わせて昭和44年にできた

 

筒石の街並み

筒石集落は一本の細い通りに沿って続いている。

波浪が多い地域のせいか、下見板張りの木造三階建の家屋が多く目立つ。

 

 

下見板張りの木造3階建て

筒石の街並み

筒石の街並み

筒石の街並み

玄関脇に流しがある家が多い 漁村なので漁の用具を手入れするためなのだろう

筒石の街並み

筒石の街並み

筒石の街並み

レトロな町並みにはこれまたレトロな赤い消火栓が似合う

こういう細路地には猫が似合う

筒石の街並み

筒石の街並み

川沿いの風景 家屋は複雑な構造をしている

筒石の街並み

 

砂浜に残る舟屋跡

海の向こうに電柱が見える

 

 

Diana Babyで撮った秋葉原(2023.08.08)

秋葉原駅ホームのミルクスタンド

110フィルムを使ったDiana Babyで撮り始めた頃の写真。

秋葉原駅総武線各駅停車ホームにあるミルクスタンドの風景。

現在、ミルクスタンドが現役で残ってるのは、他に御徒町駅のホームぐらいだろう。

サラリーマンにとっては通勤途中にサクッと朝食を摂れる場所、牛乳や乳飲料だけでも50種類以上の品揃いで、パン類などの軽食も扱う。

このミルクスタンドの歴史は意外と古く、昭和25年[1950]に御徒町駅で開業したのが始まり、翌年には秋葉原駅でも開業する。

当時は戦後混乱期、ようやく食糧難から脱出という頃だったろう、開業当初から需要が高かったのではと思われる。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

秋葉原駅総武線各駅停車ホームの風景

秋葉原駅総武線各駅停車と山手線・京浜東北線がクロスする駅で、乗り換え客が多いのか終日ごった返す。

つくば市と結ぶつくばエキスプレスや地下鉄も乗り入れており、ちょっとした交通の拠点でもある。

 

秋葉原の老舗居酒屋の前の風景

秋葉原というと戦後の電気街から始まり、現在はオタク産業のメッカになり、世界中に広まったのか訪れる外国人の数が爆発的に増え、寧ろ、日本人より多いぐらいだ。

しかし、もともとは「やっちゃ場」と呼ばれる青果市場の拠点で、その跡地が再開発され、現在に至る。

秋葉原電気街は戦後の闇市が源流で、そこでラジオ部品を売る露店が集まり、今もその名残を思わせる場所も見られる。

最近本店ビル解体が決まった「肉の万世」も、もともとはラジオ部品の露店だった。

秋葉原駅近くにある老舗居酒屋「赤津加」は昭和29年創業、闇市の名残りが色濃かったころからで、その当時からを思わせる佇まいの一軒。

アキバの喧騒から離れるのにうってつけで、正統派の酒と肴でゆっくり時間を過ごすのが好きだ。

そんな店構えの前にメイド姿がチラシ配りしている光景が上の一枚。

立山黒部アルペンルート20240722

青春18きっぷを使って二泊三日の旅に出ました。

行きは東京から中央本線大糸線を回って信濃大町までの普通列車の移動。

二日目に信濃大町から立山黒部アルペンルートを縦断して富山まで移動。

帰りは富山から三セクを経て、信越本線上越線から高崎線を経て帰京。

この旅の最大の目的の一つが、立山黒部アルペンルート

信濃大町からいろんな乗り物で移動して立山まで至る、全長約37.2㎞のルートです。

いろんな乗り物を体験するだけでなく、立山や黒部の自然に触れることができる、定番の旅です。

今回はそんな旅で撮った写真を集めてみました。

 

使用カメラ:LomoApparat

使用フィルム:Lomography Color Negative 35mm Film ISO 800(使用期限2024.01)

 

 

黒部湖と黒部ダム ダム展望台から

 

黒部ダム 間近から迫力のある放水が見られる 虹が見える

 

黒部ダム工事で犠牲になった171名の慰霊碑

 

立山連峰に周囲を囲まれた黒部湖をダム堰堤から

 

黒部平からの眺望 大観峰までロープウェイが延びる。全長1.7㎞の間には柱が一本もない。

 

ロープウェイの車窓からの眺望

 

大観峰からの眺望 黒部湖が見える。

室堂からミカグリ湖 霧で立山がほとんど見えない。

 

残雪が目立つミカクリ湖

 

地獄谷 立山が火山であることを改めて認識させられる

 

美女平からの眺望 富山平野が見える

 

立山黒部アルペンルートで体験する乗り物などなど

 

扇沢黒部ダムを結ぶ電気バス。

 

日本で唯一現役で運行されているトロリーバス。2024年11月をもって運転終了される。

 

美女平と立山駅を結ぶ立山ケーブルカー 

 

富山地鉄富山駅にて レトロなヘッドマークが並ぶ

 

富山市街を走る路面電車

 

富山市内の純喫茶「ブルートレイン」 店名の通り鉄分豊富な店内




 

Diana+Fで撮った上野公園(2023.05.12)

使用カメラ Diana+F

 

 

お馴染み西郷どん 足場が組まれる場面はある意味レア

 

 

 

 

 

 

飛騨金山の旅~筋骨巡り~

バスで世界遺産巡りをした翌日、帰京がてらに立ち寄ったのが飛騨金山。

飛騨金山から特急「ひだ」に乗り、1時間弱の飛騨金山駅に降り立ちました。

現在は温泉で有名な下呂市に組み込まれてますが、もともとは金山町という独立した町でした。

駅名に「飛騨」を冠していますが、金山町自体はもともとは美濃国に属しており、飛騨川と馬瀬川によって飛騨国美濃国に分かれ、飛騨国側に駅があることで「飛騨金山」という駅名になっています。

金山町全域が飛騨国側に組み込まれたのは駅開業後の昭和30年です。

なお、飛騨国美濃国が国境を巡って争った地でもあり、その名残とされる場所も残っています。

さて、飛騨金山は飛騨街道の宿場町として栄え、街道沿いにも往時の繁栄の名残りを思わせる街並みが残っていますが、一方で街道から外れるとを味のある細い路地が見られます。

その細い路地、人間の体の筋(すじ)と骨(ほね)のように複雑に絡み合うように迷路状になっていることから、飛騨地方では「筋骨(きんこつ)」と呼ばれています。

昭和40年代、馬瀬川上流に岩屋ダム建設にともない、金山町は賑わいを見せ、駅前から街道沿いにわたって商店が立ち並び、現在も当時のままの店構えが多くみられます。

同時に、筋骨と呼ばれる路地も昭和時代の映画のセットのような風景を見せています。

ガチな昭和レトロの街並みなので、フィルムカメラが合う街でもあります。

現在、飛騨金山では「筋骨巡り」と呼ばれる路地裏探検を前面に売り物にしていますが、平日は観光客の姿がなく、人通りが少ないので、普段の路地風景をそのまま感じることができます。

実際に人と出会った場面はほとんどなく、出会ったのも観光客は見られず地元住民ぐらいでした。

そもそも「筋骨」と呼ばれる路地も、普段は地元住民が通る生活のための道ですからね。

 

 

shimataka2023.hatenablog.jp

 

使用カメラ:LomoApparat

使用フィルム:Lomography Color Negative 35mm Film ISO 800(使用期限2024.01)

 

高山本線 飛騨金山駅

飛騨金山駅前の風景 WELCOMEのゲートがお出迎え

川またぎ鉄塔

金山橋から 飛騨川と馬瀬川の合流地点 飛騨国とみの国の境目にあたる

手前が馬瀬川、向こうが飛騨川、川の色が違うのが分かる。

 

境橋 その名の通り飛騨国美濃国との境目の端 向こう側が飛騨

飛騨街道沿いの造り酒屋

飛騨街道 手前に木造三階建ての旧鰻屋さん

鰻屋さんの脇道

脇道の階段を降りたところに共同の洗い場

飛騨街道

飛騨街道沿いの豆タイル店舗 飛騨金山町内には豆タイル張りの店構えが多くみられる

飛騨街道から外れた路地の奥に古い銭湯

古い銭湯は自由に入れる 渋いロッカー

古い銭湯 廃業当時のままの姿

古い銭湯 広告付きの鏡

古い銭湯の浴室 浴槽は家族風呂並みに小さめ

時代を感じさせる指名手配写真

狭い細路地 実はもともと国が治めていた道で現在も公道 なので自由に行き来できる

水路に沿って続く細い路地

屈まないと通れない細路地

細路地が渡り廊下の下を通る

水路や通路の上を増築部が継ぎ接ぎ状態で突き出ている

細路地は石階段を通って飛騨街道に出る

水路の上にはみ出ている町家

トタンと増築が継ぎ接ぎ状態で並ぶ細路地風景

観光地化されていないせいか人通りが他にいなかった

古い占用許可証 年代が古いが増築許可がきちんとされているのが分かる

細路地を出た先には料亭旅館が見える かつてこの通りは劇場通りと呼ばれた

飛騨金山駅に戻る途中でも豆タイル店舗

 

世界遺産の旅(五箇山~白川郷)

二泊三日で富山県から岐阜を回る旅に出ました。

目的は世界遺産バスで五箇山白川郷を巡る弾丸ツアー。

東京から北陸新幹線と在来線(第三セクター)乗り継いで高岡へ。

二日目の朝に高岡を出発し、五箇山世界遺産になっている相倉集落と菅沼集落、白川郷の荻町集落と半日で縦断し、夕方に飛騨高山に到着しました。

白川郷で雨が降り出し、飛騨高山に着いた時には本降りになりましたね。

荻町城址展望台からの全景を撮ったのですが、雨のせいかレンズが曇ったのか、ぼやけた写真になってしまいました。

飛騨高山ではミラーレスカメラで夜の街並みを撮りましたが、雨の中の撮影で大変、それでも雨に濡れた夜の古い街並みは風情がありますね。

三日目は別の目的での撮影を経て帰京しましたが、それはまた別の記事で。

 

使用カメラ:LomoApparat

使用フィルム:Lomography Color Negative 35mm Film ISO 800(使用期限2024.01)

 

 

五箇山(相倉集落)

五箇山富山県南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域の総称で、5つの谷から成り立つということで「五箇谷間(やま)」と呼ばれ、それから転じて「五箇山」という名前になったと言われる(諸説あり)。

五箇山と一言でいっても広いエリアで、そのうち「相倉」「菅沼」二か所の集落は、伝統的な茅葺屋根の合掌造り家屋が集まっていることから、1994年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、翌年には白川郷とともに「白川郷五箇山の合掌造り」として世界遺産に登録されている。

相倉集落には現在、20棟の合掌造り集落を含め、24棟もの伝統的な茅葺屋根建造物が現存。

 

五箇山相倉集落 全景

五箇山相倉集落

五箇山相倉集落

五箇山相倉集落

五箇山相倉集落

五箇山相倉集落

原始的合掌造りといわれる一軒。

現在の合掌造りの原型といわれ、現在この形で残っているのがここだけだという。

 

五箇山相倉集落

手前に見えるのが「放水銃」の保管箱。

木造家屋がほとんどなので、防火には気を使っているのがうかがえる。

定期的に放水銃による消火訓練が行われる。

 

 

 

五箇山(菅沼集落)

相倉集落とともに五箇山世界遺産登録を受けている菅沼集落。

現在は9棟の合掌造り家屋と、相倉集落と比べて小規模ながら、コンパクトに密集している。

うち二軒が「五箇山民俗館」と「塩硝の館」という公開施設となっている。

有数の豪雪地帯である五箇山では、養蚕とともに火薬の原料となる塩硝の製造が盛んだった。

 

 

五箇山菅沼集落 全景

五箇山菅沼集落

五箇山菅沼集落

 

 

 

白川郷(荻町集落)

岐阜県飛騨地方の白川郷、その中心となる集落「荻町集落」。

国の重要伝統的建造物群保存地区指定が1976年と早い。

同じ世界遺産でも、五箇山は観光客の姿がそれなりに見られる程度だったが、古くから「日本の原風景」として知られていることもあって、平日でも観光客が多く、特に近年は日本人より外国人の方が多いと感じるほどである。

そのほとんどが飛騨高山(最近は飛騨古川も)とセットでの訪問だろう、飛騨高山と結ぶバスは平日でも常に満杯になる。

 

白川郷荻町集落(和田家住宅=国の重要文化財

白川郷荻町集落(明善寺)

白川郷荻町集落(明善寺)

白川郷荻町集落

白川郷荻町集落 全景

集落内を散策してる辺りで雨が降り出し、展望台がある荻町城址についた頃には本降りの状態だった。

雨のせいでレンズが曇ったせいか、写りが霧に覆われた感じで曇っている。

普通なら失敗例だが、撮影時の気候状況を示すうえで、敢えて載せることにした。